減量をきっかけに、“撮られる側の気持ち”を学んだ話
※この記事は、「**そのうち、ちゃんとします**」シリーズの一編です。
20代最後の私が、体重97kgから減量を始め、生活や考え方がどう変わっていったのかを記録しています。
失敗も含めて、リアルな記録を残しています。
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はじめに
写真は好きだった。ただ、自分が写るのは、いつだって苦手だった。
97kgの身体。新しい土地での生活に慣れるための飲み会が、いつしか言い訳に変わっていた。
体に悪いと知りつつも、「付き合いだから」と繰り返す夜。
週末には、友人と一緒に写真を撮りに出かける。けれど、自分の写真を見るのは、やはりつらかった。
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なぜ減量を始めたのか
「笑われる」から「心配される」へ
「そろそろ、ちゃんとしなきゃ」――そんな言葉が、胸の奥で響き始めたのは、20代も終わりに差しかかったころ。
「太ったね」と笑われることが減り、「大丈夫?」と心配されることが増えていった。
身体の小さな不調が、心にも影を落とす
靴下を履くだけで息が切れる。階段を上るのが億劫になる。
そんな日常のささやかな不自由が、気づけば、心まで曇らせていた。
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肌ケアや見た目への意識が変わった瞬間
まず変えたのは、生活のルーティン
変わりたいと思った最初の一歩は、食生活の見直しとエアロバイクだった。
体が少しずつ軽くなり、心の霧もゆっくり晴れていく。
さらに、次第に思う。「もっと見た目も整えたい」と。
自分磨きが“写り”に繋がるという発見
今では、夜は顔にパックを貼り、朝は日焼け止めを塗ることが日課になった。
写りを気にするようになって初めて、見えてきたものがある。
それは、モデルたちが、どれだけ“写られるため”に努力しているか、ということだった。
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モデルという仕事の“凄さ”を再認識した話
写真の裏側にある、静かな積み重ね
これまで、何人ものモデルを撮ってきた。
しかし今は、その一枚の奥にある“積み重ね”が、ほんの少しだけ見える気がしている。
表情をつくる筋肉。シャッターの瞬間に切り替えるメンタル。
撮られる人の「気配り」が、写真に映ると知った。
“量産する自分”というプロ意識
一度のベストショットではない。
何十枚、何百枚と、同じ自分を更新し続ける――それが、モデルという存在なのだ。
要するに、ようやく撮る側の自分も、その入口に立てた気がする。
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だからこそ、これから
写真は、目に見えないものも写す
写真に写る姿は、その人のすべてではない。
けれど、その奥にある空気、温度、迷い、誇り――そういったものを写したいと思うようになった。
「変化の途中」にある人を、切り取りたい
変わっていく途中の人を撮りたい。
そう思えるのは、今の私が、まさにその途中にいるからだ。
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おわりに
写る側の覚悟に、少しだけ触れた気がしている。
ただ体重を減らすこと以上に、大切な気づきをもらった。
今日も私は、顔にパックを貼りながら、エアロバイクを漕ぎながら、そんなことを考えている。
次に語るのは、体が発した最初の悲鳴のこと。
それは、ある日突然やってきた。
名前を「痛風」という。
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